Taishō-ku (Ōsaka) 3.11

Osaka, Osaka
Japan

About Taishō-ku (Ōsaka)

Taishō-ku (Ōsaka) Taishō-ku (Ōsaka) is a well known place listed as City in Osaka , Landmark in Osaka , Residence in Osaka ,

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大正区(たいしょうく)は、大阪市を構成する24区の一つである。区全体が運河に囲まれた島状の地形となっている。大正初期以来沖縄県からの移住者が多かった地域で、沖縄料理や沖縄食材を扱う店が多く、「リトル沖縄」とも呼ばれる。2016年現在、大阪市24区の中で最も人口が少ない。地名と由来区名大正区の区名は、木津川に架かる大正橋(たいしょうばし)から命名された。区名制定にあたり住民に区名を募集した際「大正橋区」を希望する声が多かったが、「大正橋区」では長いとして最終的に大正区に決定した。なお、区名の由来となった大正橋は大正4年竣工であるが、大正区自体は大正時代ではなく昭和7年に設置された区である。町名 三軒家西 三軒家東 泉尾 千島 北恩加島 北村 小林西 小林東 平尾 南恩加島 鶴町 船町三軒家の地名は、江戸時代初期の開発当時に3軒の民家があったことが由来となっている。三軒家は摂津国西成郡木津村の中村勘助(木津勘助)によって開発された。北村および泉尾(いずお)の地名は、江戸時代にこの地を開発した北村六右衛門に由来する。そのうち、「北村」は姓をそのまま取り、「泉尾」は北村六右衛門の出身地・和泉国大鳥郡踞尾(つくの)村(現在の堺市西区津久野町)から、和泉国の「泉」と踞尾村の「尾」を組み合わせて命名された。北恩加島(きたおかじま)・南恩加島(みなみおかじま)・千島・小林の地名は、江戸時代にこの地を開発した岡島嘉平次に由来する。「北・南恩加島」については、開発者・岡島嘉平次への敬意を示すため、この地を担当していた代官が「岡島」を「恩加島」の表記に変更した。「千島」および「小林」は、岡島嘉平次の出身地・摂津国東成郡千林村(現在の大阪市旭区千林)からとっている。平尾の地名は、江戸時代にこの地を開発した平尾与左衛門に由来する。船町および鶴町の地名は、万葉集の和歌から町名がとられている。船町や鶴町など区の南西端は明治以降の大阪港第一次修築工事の際に埋立・開発がすすめられた町である。なおこの地にはかつて鶴浜通・福町の地名もあり、これらの地名も万葉集からとられていたが、住居表示の実施によりいずれも鶴町に統合される形で姿を消している。