創立者中村春二によって、自らの理想とする教育を実現するべく、学生塾「成蹊園」として1906年開塾したのが、成蹊学園のはじまりです。
1912年、池袋の地に成蹊実務学校を創立以来、 明治、大正、昭和、平成と、日本が大きく変貌を遂げるなか、「個性尊重の人格教育」を貫き、その精神である「個性と自由を大切にする人間教育」は、現在も成蹊スピリットとして受け継がれています。
なお、成蹊学園の「成蹊」の名は、『史記』の作者 司馬遷が「李将軍列伝」において、李廣の人物を讃えるために引用したことわざ「桃李不言 下自成蹊」に由来しています。
桃や李(すもも)は、ものを言うわけではないが、美しい花を咲かせ、おいしい果実を実らせるため、自然と人が集まり、そこに蹊(こみち)ができる。桃や李は人徳のある人のたとえで、優れた人格を備えた人のまわりには、その人を慕って自然と人が集まってくる、という意味です。