岡山国際サーキット 5.51

4.3 star(s) from 467 votes
滝宮1210
Mimasaka-shi, Okayama 701-2612
Japan

About 岡山国際サーキット

岡山国際サーキット 岡山国際サーキット is a well known place listed as Race Track in Mimasaka-shi , Sports Venue & Stadium in Mimasaka-shi ,

Contact Details & Working Hours

Details

岡山国際サーキット(おかやまこくさいサーキット、Okayama International Circuit)は、岡山県美作市にあるサーキット。旧称はTIサーキット英田(ティーアイサーキットあいだ)。歴史会員制ゴルフ場の開発、経営などを手掛ける田中肇率いる「タナカインターナショナル株式会社」により、1980年代後半のバブル景気を受けたモータースポーツブームを背景に建設が進められ、1990年11月18日にオープンした。F1開催を目的に建設され、また、バブル景気に沸く当時の世相を反映して、1,500万円の入会金が必要な「会員制サーキット」というユニークな仕組みを導入したことで話題となった。なお、会員はサーキットが所有するティレルの1987年モデルのF1マシンをドライブする権利を与えられた。会員は一般参加者が使用できないシャワールームやラウンジを利用することが出来た他、サーキットで開催された全日本選手権格式のレースを特別席やパドックで観戦できた。サーキットでのテスト走行を目的にした国内の多くの自動車メーカーが会員になった他、カーグラフィックなどの自動車雑誌に多数の広告を出稿し告知に努めた結果、バブル景気に伴うモータースポーツブームを反映して、個人で会員になる者も多かった。F1開催サーキットのオープン直後にバブル景気の崩壊に見舞われたものの、田中が建設当初から計画した通りに、1994年と1995年に、F1「パシフィックグランプリ」が開催された。1994年のレースには片山右京や鈴木亜久里などの日本人ドライバーが参戦したほか、アイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガーが次戦の1994年サンマリノGPで事故死したため、セナとラッツェンバーガーにとっては日本での最後のレースとなった。周囲の交通アクセスの問題は、シャトルバスを大量動員することで解決された。当時はまだ周辺道路が狭く、F1開催に合わせて岡山県の協力による道路拡張が行われたが、1994年の開催には完全には間に合わなかった。サーキットの宿泊施設は収容人数が少なく、大部分の関係者は湯郷温泉にある和風の旅館に宿泊した。1995年については、4月に開催(第2戦)される予定であったが、1月に発生した阪神・淡路大震災の影響から開催が危ぶまれた。しかし、10月に延期(鈴鹿で行われる日本グランプリの前の週)され、第15戦として開催にこぎつけた。しかしこれが最後のF1開催となった。