雷門 4.16

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Taito-ku, Tokyo 111-0032
Japan

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雷門(かみなりもん)は、浅草寺の山門。東京都台東区浅草一丁目2番 - 3番地に位置する。正式名称は風雷神門(ふうらいじんもん)であり、「雷門」と書かれた提灯の逆側には「風雷神門」と書かれている。概要門に向かって、右側に風神、左側に雷神が配される、朱塗りの山門である。門の中央には、重さ約700Kgの提灯が吊りさげられており、浅草のランドマークとなっている。日本を象徴する風景として、外国人向けに日本を紹介するパンフレット、お土産のレリーフなどに採用されることが多い。歴史941年、安房国の太守であった平公雅が、武蔵国への配置転換を祈願。翌年、配置転換の願いが叶ったことから、新天地での天下泰平と五穀豊穣を祈願し伽藍などの寄進を行った。初代の雷門に相当する門は、その際に造られたとされる。雷門の呼称は、江戸時代の川柳に初めて登場するが、それ以前のいつの段階から呼ばれるようになったかは不明である。知名度に関しては、雷門の名が書かれた提灯が1795年に初めて奉納されており、浮世絵の題材に用いられたことから、以降、日本各地へ浸透したものと考えられる。 雷門はしばしば火災により消失しており、江戸時代だけでも2度も建て替えられている。最後の火災は1866年(慶応元年12月14日)であり、以後、100年近く恒久的な建築物としての雷門は姿を消す。明治年間から太平洋戦争後にかけては、さまざまな形態の仮設の雷門が登場したと伝えられる。いずれも博覧会の開催や戦勝記念など、その時々のイベント的な要素が強く、素材は鉄骨やコンクリートなどの構造もあったほか、大きさもさまざまであった。1904年の日露戦争終結時には、凱旋門として雷門が建てられている。1960年、松下電器産業(現パナソニック)の創設者、松下幸之助が病気だったころに浅草寺に拝んだ。そして完治したためそのお礼として門及び大提灯を寄進し、現在の雷門が成立した。風神・雷神像は、江戸時代の頭部(火災により焼け残ったもの)に、明治時代に造られた胴体をつなげた物を引き続き使っている。