大分空港 3.97

大分県国東市武蔵町糸原大海田
Kunisaki-shi, Oita 873-0231
Japan

About 大分空港

大分空港 大分空港 is a well known place listed as Airport in Kunisaki-shi ,

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Details

大分空港(おおいたくうこう、)は、大分県国東市にある空港。空港法では第4条1項5号に該当する空港として政令で定める空港に区分されている。概要大分県北東部の国東半島の沿岸海域を埋め立てて造成した空港であり、海上空港とされることもある。滑走路は、ほぼ真南北に延び、かつ海上に位置する。大分県では、かつて高速道路や新幹線の整備が遅れており、航空路が唯一の高速交通網であった。1979年、大分県知事平松守彦は、空港を核に小型軽量で航空貨物による輸送が可能な製品を製造する先端技術産業の立地を進める臨空工業地帯構想を打ち出し、さらにこれを「豊の国テクノポリス構想」に発展させた。そして、1984年3月に県北国東地域がテクノポリス(高度技術工業集積地域)に指定されたことから、本空港周辺には大分キヤノン国東事業所、大分キヤノンマテリアル杵築事業所、日本テキサス・インスツルメンツ日出工場等の先端技術産業の立地が進んだ。かつて日本エアシステムの乗員訓練所もあったため、現在でもJALグループの他、スターフライヤー、フジドリームエアラインズ等航空各社による「タッチ・アンド・ゴー」等の実機乗員訓練が年に何回か行われている。また、宮崎空港に隣接する航空大学校からの訓練飛行も頻繁に行われる。年間利用客数は、国内1,733,502人、国際36,145人(2014年度)。マスコットキャラクターは、マーシャルくん。パドルを持つマーシャラーの姿をしたペンギンのキャラクターである。沿革旧大分空港 1938年 - 大分海軍航空隊基地として大分市今津留に建設。敷地は大分川と裏川に囲まれた範囲でかなり広大であった。 1956年5月 - 駐留アメリカ軍から返還される。 1957年 - 第二種空港として供用開始(滑走路長1,080m)。現在の大洲総合運動公園の敷地が滑走路で別大興産スタジアム(新大分球場)の位置がエプロンであった。 1964年2月27日 - 富士航空のコンベアCV240(JA5098)が着陸に失敗して墜落、20人死亡(富士航空機墜落事故)。