小諸城 3.03

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Komoro-shi, Nagano
Japan

About 小諸城

小諸城 小諸城 is a well known place listed as Landmark in Komoro-shi , Military Base in Komoro-shi ,

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小諸城(こもろじょう)は、長野県小諸市にある日本の城跡。別名、酔月城、穴城、白鶴城。概要長享元年(1487年)に大井光忠によって築城されたと考えられている。戦国時代、武田信玄の東信州経営のために現在の縄張りとされた。現在残っている城跡の元になったものは信玄の軍師であった山本勘助の縄張りだと言い伝えられているが、根拠となる史料はない。安土桃山時代から江戸時代にかけて、石垣を構築した近世城郭に改修された。現在のような構えとなったのは仙石秀久の改修によるもので、三重天守もその頃に建てられたものであった。天守には桐紋の金箔押瓦が用いられていたが寛永3年(1626年)に落雷によって焼失している。城郭は城下町である市街地よりも低地に縄張りされ、市街地から城内を見渡すことができ、このため穴城とも鍋蓋城ともいう別称がある。また、浅間山の田切地形の深い谷を空堀として利用しており、西側の千曲川の断崖も天然の防御として利用されている。歴史・沿革天文23年(1554年)に竣工する。小諸城主は武田家の親族衆である武田信豊であるとする説があるが、黒田基樹は信豊が小諸城主であったことを示す確実な記録はないことを指摘している。勝頼期には御一門衆の下曾根浄喜が城代を務めており、天正10年(1582年)3月の織田・徳川連合軍の甲斐侵攻に際しては小諸城に逃れてきた信豊を浄喜が打ち取り首を織田信長に進上したが、浄喜も誅殺されたという。