巌流島 3.39

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Shimonoseki-shi, Fukuoka 750-0000
Japan

About 巌流島

巌流島 巌流島 is a well known place listed as Landmark in Shimonoseki-shi ,

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Details

巖流島(がんりゅうじま)は、山口県下関市にある関門海峡に浮かぶ島(無人島)。正式な島の名前は船島(ふなしま)であり、住所は「下関市大字彦島字船島」となっている。概要本州(下関市彦島)から約0.4kmの関門海峡内に位置する小島である。島全体が平らな地形であり、標高は最高地点でも海抜10mに満たない。島の東海岸に設けられた遊歩道などからは関門海峡を行きかう大型船を間近に見ることができる。また、島の相当部分は公園として整備され人工海浜や多目的広場が設けられている。宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われたとされることで著名となっている。決闘が行われたとされる当時は豊前小倉藩領の船島であったが、小次郎が「巖流」(「岩流」とも)を名乗ったことから巖流島と呼ばれるようになった。歴史武蔵と小次郎が決闘を行った日時は、『二天記』(安永5年(1776年))によると慶長17年4月13日(グレゴリオ暦では1612年5月13日)に行なわれたといわれるが、それより半世紀前に書かれた立花峯均による『丹治峯均筆記』(享保12年(1727年))には武蔵19歳のときとあり、決闘時期には諸説あって実際は不明である。かつてはすぐ隣に岩礁があり、難所として恐れられていた。豊臣秀吉も名護屋から大坂への帰路の途中でここで乗船が座礁転覆し毛利水軍によって助けられたといわれている。このとき船と運命を共にした船長の明石与次兵衛の名を取り、江戸時代には「与次兵衛ヶ瀬」と呼ばれていた。岩礁は大正年間、航行する船舶の増加と大型化の障害となるため爆破されたが、この部分もあわせて三菱重工業によって埋め立てられ、現在の巌流島の一部となった。この埋め立てによって、もともと1万7千平方メートル程度であった島の面積は約6倍の10万平方メートルに広がった。明治中期にはコレラ患者の医療施設が立地していた。