一乗谷朝倉氏遺跡 3.77

4.4 star(s) from 27 votes
福井市城戸ノ内町28−37
Fukui-shi, Fukui 910-2153
Japan

About 一乗谷朝倉氏遺跡

一乗谷朝倉氏遺跡 一乗谷朝倉氏遺跡 is a well known place listed as Landmark in Fukui-shi , Historical Place in Fukui-shi ,

Contact Details & Working Hours

Details

一乗谷朝倉氏遺跡(いちじょうだに あさくらし いせき)は、福井県福井市城戸ノ内町にある戦国時代の遺跡(日本の城)である。戦国時代に一乗谷城を中心に越前国を支配した戦国大名朝倉氏の遺跡。一乗谷城(山城)と山麓の城下町(朝倉氏および家臣の居館)からなる。遺跡全体(面積278ヘクタール)が国の特別史跡で、そのうち4つの日本庭園は一乗谷朝倉氏庭園の名称で国の特別名勝の指定を受けている。概要現在の福井市街の東南方向約10キロメートル離れた、九頭竜川支流の足羽川の、さらに支流である一乗谷川沿いの谷あいにある。戦国時代の城下町と館跡、および背後の山城から構成される。一乗谷は東西約500メートル、南北約3キロメートルと狭小だが、福井平野の端から山地に入ってすぐの場所に位置し、数キロメートル先の目前に北陸道や大野盆地(大野市)に通じる美濃街道、鹿俣峠を抜け越前府中(越前市)へ続く街道、北陸道と連絡した朝倉街道などが通る、交通の要衝をすぐ押さえられる位置であった。一乗谷は東、西、南を山に囲まれ、北には足羽川が流れる天然の要害で、南北に城戸を設け、その間の長さ約1.7キロメートルの「城戸ノ内」に、朝倉館(武家屋敷)をはじめ、侍屋敷、寺院、職人や商人の町屋が計画的に整備された道路の両面に立ち並び、日本有数の城下町の主要部を形成していた。周辺の山峰には城砦や見張台が築かれ、地域全体が広大な要塞群であった。歴史・沿革軍記物である『朝倉始末記』には1471年(文明3年)に戦国初代朝倉敏景(孝景・教景)が黒丸館(福井市黒丸町)から本拠を移したと記されている。しかし、「朝倉家伝記」や「朝倉家記」などの新資料によると、朝倉氏は南北朝時代には、一乗谷を本拠にしていたようである。文明年間には重臣が一乗谷に集住するようになり、また、足利将軍家の分家である鞍谷公方などもいたことから応仁の乱により荒廃した京から、多くの公家や高僧、文人、学者たちが避難してきたため一乗谷は飛躍的に発展し、華やかな京文化が開花した。このため北ノ京とも呼ばれた。戦国4代朝倉孝景の頃から全盛期を迎え、最盛期には人口1万人を超え、越前の中心地として栄えていた。