久米川駅 3.98

Higashimurayama-shi, Tokyo
Japan

About 久米川駅

久米川駅 久米川駅 is a well known place listed as Train Station in Higashimurayama-shi ,

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Details

久米川駅(くめがわえき)は、東京都東村山市栄町にある、西武鉄道新宿線の駅である。駅番号はSS20。東村山市には「久米川町」という地名があるが、当駅ではなく隣の東村山駅が最寄りとなる。歴史開業時の住所は久米川村大字久米川でそれが駅名の由来であったが、1964年(昭和39年)の区画割により栄町に位置することになった。開業周辺に人家もわずかで雑木林と畑しかなかった場所に久米川駅を設置した背景には、日本土地住宅という土地会社が駅用地を提供したことがある。日本土地住宅は東村山に大規模な土地分譲販売を計画し、まず1925年(大正14年)、第一次に販売した30万坪は完売し、合計100万坪の販売を見込んでいた。ただ実際購入した人は資産家が多く、投資や別荘と考えていたようである。例えば講談社の野間清治は購入した約4万9千坪の土地で小作人を使い耕作させていたという。こういったことで居住者は増えず、久米川駅になんら恩恵はなかった。その後、日本土地住宅は乱脈経営が発覚するなどして休眠状態となり、東村山の土地開発も消滅してしまった。しかしこの土地は野営地として利用されるようになり1931年(昭和6年)には東京連合少年団(ボーイスカウト)主催により、全国から2500人の少年が集まり野営した。この成功により、西武鉄道は久米川テント村と名付け利用者には運賃3割引として宣伝した。福祉駅駅の改築では長い時間を必要とした。東村山市では南口駅前広場造成を計画していたところ、1972年(昭和47年)に西武鉄道が橋上駅舎建設を提案し、市長との話し合いでは合意を得たが、定例市議会で身体障害者の団体から「久米川駅の橋上駅化に反対する陳情」が提出され、市議会では審議継続になった。これに対し久米川商店会からは「久米川駅の橋上駅化に関する陳情」も提出され、福祉か開発かで結論は翌年に持ち越しとなった。1973年(昭和48年)になって身体障害者患者連絡協議・市・市議会・西武鉄道の四者で話し合いがもたれ、身体障害者側からの要望をいれること、商店会からは駅東西の交流をはかれるようにして駅の混雑も緩和できるような方策を西武鉄道に求めた。そうしているうちに今度は西友のビル建設問題がもちあがり、これに商店会が反発して、駅前広場造成工事が一時中止となるなど難航した。