平和台野球場 2.79

Fukuoka-shi, Fukuoka
Japan

About 平和台野球場

平和台野球場 平和台野球場 is a well known place listed as Landmark & Historical Place in Fukuoka-shi ,

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平和台野球場(へいわだいやきゅうじょう)は、かつて福岡県福岡市中央区にあった野球場で、プロ野球3球団が本拠地としていた。1949年に建設され、1997年に閉鎖された。歴史ライオンズ時代1948年、福岡県で第3回国民体育大会が開催された際、福岡市の中心地にある舞鶴公園(福岡城址、陸軍第12師団歩兵第24連隊跡地)に陸上競技場、球技場2面などを擁する平和台総合運動場が建設される。当時の連隊跡地はGHQに接収されていたが、国体の準備委員長を務めた岡部平太がGHQ相手に何度も折衝を行い、その際に「連隊跡地をスポーツによるPEACE HILL(=平和台)にしたい」と語ったことなどから接収は解除され、運動場が作られることになった。1949年12月18日に、球技場の1面(国体でサッカー競技が開かれた場所)を造り変えて平和台野球場が完成した。総工費は3000万円。1950年にプロ野球に参入したパシフィック・リーグの西鉄クリッパースとセントラル・リーグの西日本パイレーツの本拠地球場となった。翌1951年に西鉄と西日本が合併してパ・リーグの西鉄ライオンズになるが、引き続き西鉄が本拠地とした。開場当時はナイター照明がなく、試合中に日没になった場合は球審の判断により試合打ち切り(進行状況によりコールドゲームまたはノーゲーム)とすることになっていた。1952年の平和台事件をきっかけに1954年、ナイター照明を設置している。