医王山 福楽寺 2.08

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秋穂西1987 福楽寺
Yamaguchi-shi, Yamaguchi 754-1102
Japan

About 医王山 福楽寺

医王山 福楽寺 医王山 福楽寺 is a well known place listed as Buddhist Temple in Yamaguchi-shi , Church/religious Organization in Yamaguchi-shi ,

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Details

【お寺】

医王山福楽寺は真言宗御室派(総本山仁和寺)末の寺院で、創建は今から約1300年近くも昔、奈良時代の全盛期だった天平18年(746年)、聖武天皇の御世に遡ります。

福楽寺は開基・行基菩薩と伝えられる古刹ですが、長らく荒廃していたのを文明18年(1486年)になって行順和尚が復興、6年後の明応元年(1492年)に堂宇を再建したと記録されています。

しかし江戸時代中期頃の火災により御本尊以外がすべて焼失したため、当山中興六世の真龍法印が現在地に寺を移転・再復興しました。

【秋穂霊場】

JR新山口駅から車で15分ほど南へ走ると、そこは瀬戸内海を臨む長閑な田園地帯・山口市秋穂地区です。
人口約7500人の半島、秋穂地区は農業と漁業の町として知られています。
そして実はこの秋穂、車海老の養殖に世界ではじめて成功した「海老の町」でもあるのです。
毎年8月下旬には、中道海水浴場で「海老狩り世界選手権」が開催されていますが、この「選手権」には全国各地から毎年数万人の応募者があり、千数百人が参加する盛況ぶりです。

この秋穂地区と、隣接する秋穂二島地区を中心にして、写し四国霊場・秋穂八十八か所があります。
小さな霊場ですが、その始まりはとても古く、伝統のある霊場です。
この霊場は天明3年(1783年)に遍明院第八世の性海法印が四国八十八ケ所を巡拝して、四国の各札所の護符と土砂を秋穂に大切に持ち帰り、持ち帰った護符を秋穂各地に供え、同時に四国札所の土砂を秋穂の相応しい場所に埋めて祈願し、その場所を「秋穂霊場札所」としたのが始まりです。

最初は理解されず苦労したようですが、徐々に協力者を得て、この秋穂の地に四国八十八ケ所の写し霊場が誕生しました。
「写し四国」としては国内最古、秋穂霊場の誕生です。

性海法印が秋穂霊場の建立を念願したのは、秋穂が古くより仏教の特に盛んな土地柄だったからでしょう。
とりわけ他宗を圧倒して真言宗が隆盛を誇り、この地は「西の高野」とも称せられたと伝えられています。
現在でも秋穂・秋穂二島地区には真言宗寺院だけで10ヵ寺を数える所以です。

福楽寺ももちろん、札所寺院のひとつです。
本堂内に6・7番札所が、本堂に隣接する地蔵堂(8番札所)と合わせて境内に3つの札所を擁しています。

札所には普段から県内各地を中心に参詣者がありますが、毎年旧暦の3月20日・21日は「お大師参り」として、各地からとりわけ多くの巡拝者がこの霊場を訪れ、各札所では地元の方によってお接待が行われます。
福楽寺でも、巡礼の方には御供物、子供には駄菓子などの接待をしています。

「お大師参り」2日目の午後には、一番札所の大師寺にて、秋穂の真言宗各寺院が集まって正御影供が厳修されています。

全行程は最短コースで50km強、徒歩で2日・自転車1日のコースです。
四国や西国霊場は非常に距離もあって、巡拝も容易ではありませんが、秋穂霊場は非常にコンパクトな霊場です。
ハイキング気分で巡拝しても気持ちがいいのではないでしょうか。
ただし、札所の半数以上は無人のお堂で道がわかりにくいと思います。
巡礼地図が役場や道の駅にありますので、利用してください。