コリントス運河 2.26

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About コリントス運河

コリントス運河 コリントス運河 is a well known place listed as Place To Eat/Drink in -NA- , River in -NA- , Geographical Feature in -NA- ,

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コリントス運河(コリントスうんが、 ; )は、ギリシャのコリントス郊外にある運河。ペロポネソス半島の根元にあるコリントス地峡に開削されたもので、エーゲ海とコリンティアコス湾を結び、1893年に完成した。概要コリントス運河は、閘門を持たない水位が一定の運河で、コリントス地峡の丘を一直線に縦断して掘られている。全長6343m、運河の幅は水面部で24.6m、河底部で21m、深さは8m、運河の途中に鉄道橋と道路橋があり桁下は52mとなっている。丘の高いところでは標高約79mほどもあり、丘の区間では両側に高く切り立った崖がせまる細い水路を船が通過する。鉄道橋があるところでは標高60m のところに開口部に長さ約33mほどの鉄橋がかかっている。大きな船はタグボートに曳航されて水路を通る。この運河の開通で、従来のペロポネソス半島を大きく迂回するルートに比べて航路が400kmあまり短縮された。しかし、幅が狭いため大型貨物船の通航はできず、現在では主に観光船の通航に利用されている。年間11,000隻あまりの船がこの運河を往来する。歴史コリントス地峡に運河を掘る考えは古くからあり、古代ギリシア時代、紀元前7世紀末頃のコリントスの統治者ペリアンドロスもその1人だった。その後も幾度か運河開削の構想がおこっていた。紀元前3世紀ごろ、マケドニア王デメトリオス1世ポリオルケテスが建設を試み挫折している。古代ローマ時代にもカエサルやカリグラ帝も関心をもった。ネロ帝の時代になると、実際に大規模な開削が試みられた。67年にネロ帝は6000人の奴隷を動員して運河の開削を行い、3.3kmあまりを掘ったが、途中、ローマでガルバらの反乱が起こりネロは自殺、彼の死後、帝位についたガルバ帝によって工事は中断された。ネロの時代に計画された運河は現在のコリントス運河があるルートと同じところにあり、古代ローマの土木建設技術の高さがうかがわれる。