フォントネーのシトー会修道院 1.62

About フォントネーのシトー会修道院

フォントネーのシトー会修道院 フォントネーのシトー会修道院 is a well known place listed as Landmark in -NA- , Historical Place in -NA- , Convent & Monastery in -NA- ,

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フォントネー修道院はブルゴーニュ地方コート=ドール県モンバール市内にある修道院。サン=ベルナール渓谷とフォントネー川の合流点にあたる森の中で静かにたたずむ最古のシトー会修道院で、外観・内装とも華美な装飾性を一切排している。歴史フォントネー修道院は1118年にクレルヴォーのベルナルドゥスによって設立され、1147年にローマ教皇エウゲニウス3世によって聖別された。教皇アレクサンデル3世は、1170年の勅書において修道院の財産を確認し、修道士たちが選挙によって修道院長を選出することも許可した。この頃に修道院では、近隣で採れる鉱物を用いた製鉄業や冶金業が発達した。1259年にはフランス王ルイ9世があらゆる収税権を免除した。1269年には修道院は王国修道院 (l'abbaye royale) となり、ジャン2世、シャルル8世、ルイ12世らも寄進を継続した。こうした王家の保護にもかかわらず、ブルゴーニュ地方を荒らした数度の戦乱の折には略奪の憂き目にも遭った。それでも16世紀までは伸長する諸勢力から恩恵を受けつつ発展した。しかし、王家の利益となるように修道院長選挙の廃止が強制されたことで、修道院の凋落が始まった。18世紀には、修道士たちは資金的な遣り繰りに窮し、食堂を取り壊さざるを得なかった。そしてフランス革命中の1791年には、修道院は敷地ごとクロード・ユゴーに78000フランで売却され、以降100年ほどの間、製紙工場に転用されていた。なお、1820年に所有権はモンゴルフィエ兄弟の一族であるエリー・ド・モンゴルフィエに移った。1906年にはリヨンの銀行家で芸術愛好者だったエドゥアール・エイナールの手に渡った。彼は1911年までかつての修道院の姿を取り戻させるべく修復工事を行い、製紙工場も解体した。フォントネー修道院は現在でもエイナール家の私有物ではあるのだが、後述するように主要部分は観光客にも公開されている。観光客に公開されている部分修道院付属教会これは1127年から1150年に十字形の設計に基づいて建築されたものである。長さ66メートル、幅8メートルで、翼廊は19メートル。幅8メートルの身廊は両側に側廊を持っている。拱廊(アーケード)はシトー会則をうっすらと刻んだレリーフの付いたランセオレ様式の柱頭を持つ柱に支えられている。内陣は正方形で身廊よりも低い。中世には、正面入口はポーチに先行されていた。