サンジェルマン大通り 2.06

Paris,
France

About サンジェルマン大通り

サンジェルマン大通り サンジェルマン大通り is a well known place listed as Landmark in Paris , Street in Paris , Comedy Club in Paris ,

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Details

サンジェルマン大通り( - おおどおり、ブールバール・サンジェルマン、仏:Boulevard Saint-Germain)はパリ、セーヌ川左岸にある大通りの名称。東はサン・ルイ島の先端に架かるシュリー橋から起こり、弧を描くように西行し、パリ左岸5区、6区、7区を通ってコンコルド橋(右岸のコンコルド広場に渡る橋)で終わる。ほぼ中間のところで南北に走行するサンミシェル大通りと交叉している。この通りは、通りの名の由来となったサン=ジェルマン=デ=プレ地区や地区(邸宅が多く、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』に描かれた)を通ることで知られる。歴史サンジェルマン大通りの名は、中世(6世紀)から残るサン・ジェルマン・デ・プレ修道院(レンヌ通りが突き当たる場所に建つ)に由来する。大通りの周辺は、フォーブール・サンジェルマン(サン・ジェルマン・デ・プレ寺院の郊外の意、寺院の西側に拓けた)として知られる。17世紀には、サンジェルマン地区は貴族の邸宅(hôtels particuliers)が集まる場所となった。19世紀になってもその状態は続いていたが、その頃には古くからの貴族街として、セーヌ川右岸の新興ブルジョアジー地区であるサントノーレ通り(Rue Saint-Honoré, ルュ・サントノレ)やシャンゼリゼ大通りと対比された(例えばオノレ・ド・バルザックの小説に描かれている)。1930年代以降、ここは夜の繁華街やカフェ、学生街(この通りはカルチエ・ラタンを通る)となっていった。「レ・ドゥ・マゴ」(:fr:Les Deux Magots)や「カフェ・ドゥ・フロール」(:fr:Café de Flore)をはじめとする多くのカフェが集まり、サンジェルマン地区は実存主義のメッカとなった(ジャン=ポール・サルトルやシモーヌ・ド・ボーヴォワールにゆかりがあった)。第二次大戦後、サンジェルマン大通りは、パリの知的・文化的地域となった。哲学者や作家、音楽家たちが通りに居並ぶナイトクラブやブラッスリーに溢れていた。