秩父宮ラグビー場 5.51

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北青山2丁目8番35号
Minato-ku, Tokyo 107-0061
Japan

About 秩父宮ラグビー場

秩父宮ラグビー場 秩父宮ラグビー場 is a well known place listed as Sports Venue & Stadium in Minato-ku , Public Places & Attractions in Minato-ku ,

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Details

秩父宮ラグビー場(ちちぶのみやラグビーじょう)は、東京・明治神宮外苑(港区北青山)にあるラグビー専用競技場である。独立行政法人日本スポーツ振興センターによって運営される国立霞ヶ丘競技場の一施設。施設の概要・歴史戦前の関東のラグビーの試合は、明治神宮競技場を専用グランドに近い格好で使用していたが、戦後はアメリカ軍が同グラウンドを接収し「ナイルキニックスタジアム」と名を変え、日本人は自由に使うことができなくなったため、神宮球場や後楽園球場(現・東京ドーム)でラグビーの試合を行わざるをえない状態となった。そこで関東ラグビー協会は、昭和22年頃から新しい専用ラグビー場を建築すべく、候補地捜しを開始した。明治大学ラグビー部出身で協会理事であった伊集院浩(当時毎日新聞記者)が見つけてきた土地が、アメリカ軍による東京大空襲(山の手大空襲)によって焼失した女子学習院跡地で、アメリカ軍の駐車場になっていた現在の秩父宮ラグビー場の地であった。香山蕃理事長(当時)の戦災火災保険金と各大学OBの浄財等によって、建設資金のめどがつき、難波経一(東大)、岡田秀平(東大)、鹿島建設の尽力で1947年(昭和22年)4月に着工され、ラガーマンの汗の勤労奉仕が加わり、同年11月「東京ラグビー場」として完成した。香山蕃は「その集めた資金は血のにじむような尊い結晶でありました。あるものは時計やカメラ、またあるものは家のじゅうたんを売ってひたぶるに自分たちの心のふるさとをきずきあげようという情熱に燃えた。工事が始まったある日、雨のふるなか秩父宮様がこられご病身をかえり見ずゴム長ぐつを履かれて励まし下され、鹿島の関係者に“ラグビー協会は貧乏だからよろしくたのむ”と頭を下げられました。私は流れる涙をこらえることが出来なかった」と後日、毎日新聞の中で綴っている。杮落としは1947年11月22日、明治大学OB対学生選抜と明治大学対東京大学戦の2試合が行われた。また1949年1月に第28回全国高等学校ラグビーフットボール大会が行われた。当ラグビー場が全国高等学校ラグビーフットボール大会の開催会場となったのは第28回大会のみである。