城ヶ島 3.65

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城ヶ島
Miura-shi, Kanagawa 238-0237
Japan

About 城ヶ島

城ヶ島 城ヶ島 is a well known place listed as Landmark in Miura-shi , Ocean in Miura-shi , Island in Miura-shi ,

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城ヶ島(じょうがしま)は、神奈川県三浦半島の南端に位置する島。周囲長約4 km、面積0.99 km2で、神奈川県最大の自然島である。東西幅約1.8 km、南北幅約0.6kmと東西に細長い菱形の地形であり、東西南北にそれぞれ安房ヶ崎(東)、長津呂崎(西)、赤羽根崎(南)、遊ヶ崎(北)という岬がある。長津呂崎には城ヶ島灯台、安房ヶ崎には安房埼灯台が建つ。安房ヶ崎は神奈川県の最南端でもある(北緯 35゜ 7'32)。行政区分は三浦市で、220世帯604人が暮らす(2005年10月1日現在)。しばしば伊豆半島の城ヶ崎と混同されるが、三浦三崎周辺に城ヶ崎という地名は存在しない。概要風光明媚な三浦半島の情景を凝縮したような景観で知られる、鎌倉時代以来の景勝地である。漁業、軍事、交通、文学に深く関わってきた多面的な歴史を持っており、大正時代に北原白秋の『城ヶ島の雨』(後述)が評判を呼ぶと、ロマンの島として全国に名を知られるようになった。大正末期から終戦までは東京湾要塞の一部として砲台が存在したが、戦後に「城ヶ島公園」として開放された。現在は磯釣、磯遊びに適する行楽地として知られる他、三崎と共に海を囲み、遠洋漁業基地三崎漁港の一角を成す。三崎との距離が約500mと近いため、歴史的にも三浦三崎の一部と言える存在である。かつては三崎仲崎岸壁より出ていた渡し舟が唯一の渡島手段であったが、1960年に城ヶ島大橋が開通すると三崎との一体化は一層進行した。島名の由来古代~中世までは「尉が島」「尉ヶ嶋」等と称され、「城ヶ島」と呼ばれるようになったのは中世以降とされる。「城ヶ島」となった由来・時期は諸説あり、 尉(律令制度の役職)という者が住んでいたので尉ヶ嶋と呼ばれていたが、源頼朝が「城ヶ島」に改めた(『三浦郡神社寺院民家並古城旧跡』) 戦国時代に房総の里見義弘がこの島に砦を築いた頃に「城ヶ島」と呼ぶようになった(村井弦斎『桜の御所』) 源頼家が遊覧した際、「尉」を「城」に改めた(『俳諧三崎志』)などがある。