平戸城 2.97

Hirado-shi, Nagasaki 859-5121
Japan

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平戸城(ひらどじょう)は、長崎県平戸市にあった城。江戸時代には平戸藩松浦氏の居城であった。別名は亀岡城(かめおかじょう)、亀甲城、日之嶽城。概要平戸島の北部、平戸市街の東部に位置する。平戸港を見下ろし、対岸の九州本土を望む平戸瀬戸に突き出た丘陵上にある。三方を海に囲まれ天然の堀としている。丘陵の頭頂部に本丸が築かれ、その南側に二の丸、東側に三の丸が配された梯郭式の平山城である。最初は安土桃山時代の末期に松浦鎮信(法印)によって築かれたが破却され、江戸時代中期になって再建された。再建にあたっては山鹿素行の軍学に沿って縄張りがなされた。平城の赤穂城と並んで、平山城では唯一の山鹿流による城郭である。歴史・沿革安土桃山時代・江戸時代下松浦党の棟梁である松浦鎮信(法印)は、豊臣秀吉の九州平定に加わり松浦郡と壱岐の所領を安堵された。文禄・慶長の役の後、慶長4年(1599年)に現在の城地である日之嶽に最初の築城を開始した(現・平戸市岩の上町)。しかし、完成も間近となった慶長18年(1613年)、自ら火を放ち城を破却した。理由としては、豊臣氏と親交が厚かったことによる江戸幕府の嫌疑から逃れるためとも、最愛の嗣子久信の死によるものともいわれている。鎮信は、平戸港を挟んだ北側に「中の館」と呼ばれる居館を構え、平戸藩の藩庁とした(現・平戸市鏡川町)。ここには明治時代に松浦氏の私邸が築かれた。現在は松浦史料博物館となっている。