若松城 3.75

1−1 Otemachi, Aizuwakamatsu, Fukushima Prefecture 965-0873
Aizuwakamatsu-shi, Fukushima 965-0873
Japan

About 若松城

若松城 若松城 is a well known place listed as Historical Place in Aizuwakamatsu-shi ,

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若松城(わかまつじょう)は、福島県会津若松市追手町にあった日本の城である。地元では鶴ヶ城(つるがじょう)と言うが、同名の城が他にあるため、地元以外では会津若松城と呼ばれることが多い。文献では旧称である黒川城(くろかわじょう)、または単に会津城とされることもある。国の史跡としては、若松城跡(わかまつじょうあと)の名称で指定されている。歴史・沿革中世から近世中世の館、城郭1384年(南朝:元中元年、北朝:至徳元年)、蘆名氏7代当主の蘆名直盛が小田垣の館または東黒川館という館を造ったのが若松城のはじまりとされる。諸説あるが、おそくとも15世紀半ばまでには黒川城(くろかわじょう)、(または小高木城)とその城下が成立していた。以後、代々蘆名氏の城であった。戦国時代中後期には、蘆名氏中興の祖・盛氏が出て、黒川城を中心に広大な版図を築いた。1589年(天正17年)、蘆名氏と連年戦いを繰り返していた伊達政宗は豊臣秀吉の制止を無視して蘆名義広を攻め、蘆名氏を滅ぼし黒川城を手にした。しかし、政宗は1590年(天正18年)に秀吉に臣従し、会津を召し上げられた。近世の城郭代わって黒川城に入ったのは蒲生氏郷で、1592年(文禄元年)より大大名に相応しい近世城郭に改造し、城下町を整備した。氏郷は、町の名を黒川から「若松」へと改め、蒲生群流の縄張りによる城作りを行った。なお「若松」の名は、出身地の日野城(中野城)に近い馬見岡綿向神社(現在の滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社、蒲生氏の氏神)の参道周辺にあった「若松の杜」に由来し、同じく領土であった松坂の「松」という一文字もこの松に由来すると言われている。