畑山養蜂場 Hatayama Apiaries 1.92

加美町1番5-16
Kami-gun, Miyagi
Japan

About 畑山養蜂場 Hatayama Apiaries

畑山養蜂場 Hatayama Apiaries 畑山養蜂場 Hatayama Apiaries is a well known place listed as Agriculture Company in Kami-gun ,

Contact Details & Working Hours

Details

Founder: Rikio Hatayama

He switched from being a court clerk to an apiculturist when he was 20 something years old, because of sickness. He found that bees will help his health. And he lived longer than a doctor told him.

畑山養蜂場 初代・畑山宗頌

大正の終わり頃、20代前半、裁判所書記官時代に肋膜炎と結核に侵された初代畑山宗頌(本名、畑山力男)は、医者に匙を投げられたのをきっかけに独学で自然医療を調べつくし、当時日本ではまだ珍しかった養蜂にたどりつきます。その後、書記官の職を捨て東京にて養蜂学者に弟子入り。学術面から養蜂を学び、昭和2年、養蜂を始めます。

数年後、病院療養中に知り合った日本赤十字病院婦長(当時)のアイ子と結婚。病院を退職し夫婦で養蜂を始めます。アイ子は晩年、この時の事を「裁判所書記官の嫁として嫁いだつもりが、まさか養蜂家になるとは思ってもいなかった。」と語っています。しかし病院婦長だったアイ子の豊富な知識は、夫である初代の研究や出筆の手助けをすることになり、初代にとって彼女は無くてはならない存在となっていきました。

二人の間に生まれた三女二男も畑山養蜂場の手助けをすることになります。長男の元康は初代から養蜂の技術を厳しく叩き込まれ、3姉妹は看板娘として販売を担当しました。

全国はちみつ公正取引協議会中央理事、日本養蜂協会初代理事長に就任、ローヤルゼリー公正取引協議会も設立に関わる。現在では本物の証として認定されているローヤルゼリーの品質を保証する公正マークを提案、決定するなど、理事長として亡くなるまで養蜂に関する現在のシステムのベース作りや技術更新に力を注ぎました。初代は蜂蜜の商品開発にも長けていて、花粉入りローヤルゼリーやニンニク入り蜂蜜など、当時まだ誰も販売していなかったような新しい蜂蜜も次々と生み出しました。

『月刊ミツバチ』や『日本の養蜂』などの雑誌にも記事を連載。昭和32年、NHKラジオ放送にも出演。(番組名は記録なし)

このように人生のすべてを養蜂に捧げた初代。20代の頃、医師に「長くは生きられないでしょう。」と宣言された言葉を覆し、結果68歳まで人生を全うしました。昭和51年、食道がんにより死去。享年68歳。



<主な著書、雑誌記事>
『月刊ミツバチ』~「体験の養蜂経営」15巻3号 P77~80、20巻5号 P145~147(養蜂技術協会出版)
『月刊ミツバチ』20巻5号 P145~147(養蜂技術協会出版)
『日本の養蜂』~「改良ダダント式養蜂」14巻9号, 163号(日本養蜂社出版)
『産業養蜂』~「行き詰まり打開」9巻5号101号 頁130~133(産業養蜂会、1943年)
『産業養蜂』~「獨立の養蜂」10巻2月号(110)(産業養蜂会、1943年)
『産業養蜂』~「巢礎がわりの巢」1943年10巻5月号(113)(産業養蜂会、1943年)
『産業養蜂』~「蜂溫助勢の實驗群」1943年10巻6月号(114)(産業養蜂会、1943年)
『産業養蜂』~「無移動と巢脾」1943年10巻7月号(115)(産業養蜂会、1943年)
すべて廃刊。現在は国立国会図書館にて所蔵。