鎖国令の出た寛永10年(1633)9月16日、丹波国(京都府)桑田郡亀山城主大給松平左近将監源成重侯が卒し、その法名を見樹院殿覚誉円徹大禅定門と称して、小石川伝通院に埋葬しました。
廷宝3年(1675)になり、後嗣である豊後国府内(大分市)城主大給忠昭が、見樹院殿霊位の追善供養のため、伝通院山内に、大給松平成重を開基とし、諦誉直絃上人を開山上人として迎え別院を建立、見樹院と称しました。
これが現在の見樹院のはじまりです。以後、大給家代々の菩提所となると共に、伝通院の塔頭寺院となり、明治から今日に及び、現住職の大河内秀人は第20世に当ります。