国分敷根 1.42

Kirishima-shi, Kagoshima 899-4462
Japan

About 国分敷根

国分敷根 国分敷根 is a well known place listed as Landmark in Kirishima-shi ,

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国分敷根(こくぶしきね Kokubushikine)は、鹿児島県霧島市の大字。旧大隅国西囎唹郡敷根郷敷根村、西囎唹郡敷根村大字麓及び浜町、姶良郡国分町大字敷根、国分市敷根。郵便番号は899-4462。人口は2,091人、世帯数は882人(2010年9月1日現在)。「敷根」という地名は日本武尊が熊襲征伐に来た折、野営の際に木の根を枕の代わりに敷いて休んだ古事に由来すると云われる。地理鹿児島湾(錦江湾)奥に在り、国分平野東端に位置している。検校川より東は福山町との境に接している。また水利において2つの河川と上野原大地麓の数箇所より湧出する豊富な湧き水など、水に恵まれた土地である。字域の北方に国分上野原縄文の森、国分川内、南方に福山町福山、東方に国分上之段、西方に国分下井及び鹿児島湾が接している。字域の東部に国分敷根交差点があり、北方へ国道10号、東方へ国道220号が分岐している。北部には鹿児島県道472号日当山敷根線が東西に通っている。歴史中世から近世敷根という地名は鎌倉期より見え、大隅国小河院のうちであった。建治2年の大隅国在庁石築地役配符に敷根という記述があるのが地名の初見であると考えられている。江戸期には大隅国囎唹郡敷根郷(外城)のうちであり、村高は「天保郷帳」では772石余、「旧高旧領」では1,403石余であった。1871年(明治4年)の廃藩置県実施により敷根村は鹿児島県に属したが、同年11月14日に大隅国の区域が鹿児島県から都城県に移管され、都城県に属した。明治5年に大区小区制において敷根村は麓村と浜町に分割された。1873年(明治6年)1月15日に都城県のうち大隅国の区域が鹿児島県に編入され、再び鹿児島県に属した。