上月城は、鎌倉時代末期(1300年代)赤松氏一族の上月景盛により築城された。播磨・美作・備前の境に位置し、嘉吉の乱(1441年)での山名氏の播磨侵入、応仁の乱(1467~1477年)での赤松氏の奪回、尼子氏の播磨侵入(1538~1541年、1553年)等において攻防を繰り返す。天正5~6年(1577~1578年)の織田氏(羽柴秀吉)と毛利・宇喜多氏の攻防は特に激しく、幾度の落城を繰り返した。赤松政範(毛利・宇喜多方)、上月景貞(毛利・宇喜多方)、尼子勝久・山中鹿介(織田方)らが城と運命を共にした。