まさかのまつさか 3.2

4.5 star(s) from 41 votes
殿町1384番地 長屋西棟7号
Matsusaka-shi, Mie 515-0073
Japan

About まさかのまつさか

まさかのまつさか まさかのまつさか is a well known place listed as Tours/sightseeing in Matsusaka-shi , Tours & Sightseeing in Matsusaka-shi ,

Contact Details & Working Hours

Details

「牛肉だけが松阪じゃない!」

松阪へ来て見て感じてそして食べて元気になりましょう!(^^)!

松阪は、戦国武将の蒲生氏郷(1556~95)が1585(天正13)年に築城と町づくりを始め、1600年前後に完成したとされています。城の中心の天守閣は、江戸初期に倒壊してしまい城郭や門などの建築物も明治初期までになくなってしまいましたが、城跡の中心部には自然石を使った貴重な「野面(のづら)積み」の石垣が残っていて、2006年には日本城郭協会の「日本百名城」にも選ばれていて、2011年には、国の史跡に指定されました。

松阪の城下は、江戸時代になると商人の町として大いに栄えました。三井家や長谷川家、小津家といった松阪木綿を扱う豪商は、江戸時代前期にいちはやく江戸(あるいは京・大阪)に店を構えましたが、その商品は粋好みの江戸っ子たちにもてはやされ、年間五十数万反(当時の江戸の人口の半分)の売り上げを誇ったといわれています。

日本だけでなく、世界にその名を誇るブランド「松阪牛」は、松阪市及びその近郊で肥育される黒毛和種で「まつさかうし、まつざかうし、まつさかぎゅう、まつざかぎゅう」と様々に呼ばれています。その中でも典型的な松阪牛は但馬地方(兵庫県)より、生後7ヶ月~8ヶ月ほどの選び抜いた子牛を導入し、約3年間、農家の手で1頭1頭手塩にかけ、稲わら、大麦、ふすま、大豆粕などを中心に与えながら肥育されます。
松阪牛を全国に広めたのは、東京での販路を拡大するために松阪近隣から牛を集め、汽車も自動車もない明治5年(1872年)より始まり、同10年(1877年)以降はほとんど隔月に行なわれ、二十数年間にもおよび徒歩で一路東京を目指した、故山路徳三郎氏による「牛追い道中」と呼ばれる大行進がきっかけです。
松阪牛は、昭和10年(1935年)東京の芝浦で開催された全国肉用畜産博覧会で最高の「名誉賞」を獲得しました。そして昭和33年(1958年)には、松阪地方の出荷業者と東京の食肉業者が集まって「松阪肉牛協会」を創設、松阪肉流通の基礎を築くとともに、この頃から松阪肉は高級肉として東京を中心にその名声を高め、松阪肉牛のブランドを確固たるものとしたようです。

松阪には、たくさんの「まさか」があります!

古代ロマンを感じさせてくれる「船形埴輪」、悠久の聖地である「伊勢」や「熊野」への街道が敷かれていて多くの旅人が宿をとってきた宿場町としての出合の歴史、古事記を書き下ろした国学者「本居宣長」をはじめ、いろんな松阪を知っていただきたいんです(^o^)