浄土真宗本願寺派本願寺四日市別院(以下 西別院)の源流は、宇佐郡の豪族・渡辺蔵人統綱が出家して、永禄五年(一五六二)に庵を結んだのが始まりと言われています。
その後、延宝二(一六七四)に「真勝寺」となり、また、延享元(一七四四)年に東別院、その二年後に西別院がそれぞれに発足します。
西別院の本堂は二度再建され、現在の大きさ(十九間四面)になったのは、安政六年(一八五九)です。平成九年には度重なる自然災害による被害で傷んだ本堂の修復工事計画が起こり、平成十二年四月に三年二カ月の期間をかけて修復され、現在に至ります。
夏には盆踊り大会、また、西別院最大の法要である、「お取越し」(※正式には報恩講御引上会)は今もなお、地域の方々さらには大分県全域・福岡県豊前・田川・築城地区にかけて親しまれ、十二月十一日~十六日の六日間にかけて厳修されています。