長野大学 3.48

下之郷658-1
Ueda-shi, Nagano
Japan

About 長野大学

長野大学 長野大学 is a well known place listed as Technical Institute in Ueda-shi ,

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建学の理念地域社会との密接な結びつきにより学問理論の生活化を目指す。概要上田市と合併する前の小県郡旧塩田町が全額出資して設立した「学校法人本州大学」により、1966年(昭和41年)4月、本州大学(ほんしゅうだいがく)として開学、翌年に本州女子短期大学を併設した。日本の公設民営大学の先駆的大学である。 設立当初は認知度が低く志願者が低迷し、当時他に類例のない設立経緯や、小規模な地方自治体が提供した資産と地元住民らの寄付が元手という脆弱な経営基盤から財政状態が振るわず、1972年、本州大学は募集停止。 本州女子短期大学を経営分離し、法人名を「長野学園」、大学名を「長野大学」とし、学部学科も改編して再出発した。 以後は志願者の漸増により経営は安定、現在は内部留保を50億円超を有し、無借金経営を実現するに至っており、収支は黒字である。 学費は私立文系大学の全国平均額より40万円ほど廉価である。 2007年4月に産業社会学部を改編して「環境ツーリズム学部」・「企業情報学部」を新設するなど、「地域に根差した大学教育」を掲げ地域社会に貢献する大学を目指している。 2017年(平成29年)4月1日に公立大学となった。 学生数は1990年代前半の大学受験生が多かった時期を過ぎてから少子化の影響により急速に減少。 2013年(平成25年)度まで8年連続で定員割れとなった。 本学が公立化の方針を示した2014年(平成26年)以降志願者が増加し、定員割れは解消。 公立大学移行決定を受け2017年(平成29年)度入試の志願者が急増した(後述)。歴史と環境上田市郊外の塩田平に位置する県営工業団地上田リサーチパークの一角に所在している。塩田平は「信州の学海」と称される自然豊かな歴史文化遺産の宝庫であり、鎌倉時代には北条氏の庇護の下多くの学僧を育んだ。大正時代には大正自由教育運動の展開により、「働く民衆の自由な意志による大学創造」を掲げる「自由大学運動」が長野県を中心に広がり、先駆的機関であった上田自由大学が地域住民により別所温泉に設置された。「上田自由大学」は昭和時代初期に自然消滅し自由大学運動も途絶えるが、地域住民の教育熱は戦後まで維持され、農業主体で小規模な旧塩田町が4年制大学設立を政策に掲げ、「本州大学」を開学するに至った。長野大学が地域密着型の教育を掲げる背景には「上田自由大学」を生んだ地域の特性と伝統が意識されている。現在はコンピュータ最先端技術の集積機関である上田リサーチパークや上田市マルチメディア情報センターと隣接する立地を生かした教育と研究が進められている。