新前橋駅 3.8

Maebashi-shi, Gunma 371-0844
Japan

About 新前橋駅

新前橋駅 新前橋駅 is a well known place listed as Train Station in Maebashi-shi ,

Contact Details & Working Hours

Details

新前橋駅(しんまえばしえき)は、群馬県前橋市古市町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。乗り入れ路線上越線を所属線としており、両毛線を含めた2路線が乗り入れている。当駅は線路名称上の両毛線の終点であるが、両毛線の列車はすべて上越線を通じて高崎駅まで乗り入れている。加えて、上越線の渋川駅で分岐する吾妻線の列車もすべて当駅または高崎駅まで乗り入れている。そのため、実用上は3路線4方向の列車が利用できる。2017年3月4日のダイヤ改正より日中の上越、吾妻線から列車の約半分が当駅止まりとなった。また、高崎方面への列車の中には一部高崎線へ直通するものもある。歴史当駅付近は1884年(明治17年)8月20日に日本鉄道が鉄道路線を開業(高崎 - 前橋)させたが、この間に途中駅は設置されていなかった。前橋の市街地は利根川東岸であったが、利根川への架橋が困難だったため前橋駅は利根川西岸の内藤分村(現在の前橋市石倉町、当駅より 1km ほど東方)に置かれ、「内藤分ステーション」と通称されていた。1889年(明治22年)12月に利根川架橋が完成し、両毛鉄道が開業させていた現在の前橋駅に日本鉄道が乗り入れるとこの駅は廃止される。これらの路線は後に買収・国有化され両毛線となった。1916年には帝国議会へ上越線の敷設計画が提案されるが、これは既に開業していた東武高崎線(1953年廃止)と同様に、高崎からまっすぐ北上し、金古町(現在の高崎市北部、金古町付近)経由で渋川駅に向かうものであった。このルート案は、県庁を前橋市に取られた高崎市の逆恨みによる報復であったとも言われている。これを受けた前橋市は議会に対して経路変更の運動を展開した。利根川を2回渡る必要があるため市の中心部を経由させることは断念したが、前橋市域を経由するルートへの変更を実現した。このとき両毛線との分岐駅として設置が決定したのが当駅であり、1921年、上越南線(後の上越線)開通とともに両毛線の駅として開業した。新前橋駅開業当時の様子は、詩人萩原朔太郎の作品『純情小曲集』中の『郷土望景詩』の一編『新前橋駅』にて描写されている。また『郷土望景詩の後に』では、「朝、東京を出でて渋川に行く人は、昼の十二時頃、新前橋の駅を過ぐべし。畠の中に建ちて、そのシグナルも風に吹かれ、荒寥たる田舎の小駅なり。」と表現され、畑の中にぽつんとできた駅であったことがうかがえる。なお開業時は旅客駅であったが、間もなく貨物営業も開始されている。