野邊野神社(のべのじんじゃ) 3.76

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久居二ノ町1855
Tsu-shi, Mie 514-1121
Japan

About 野邊野神社(のべのじんじゃ)

野邊野神社(のべのじんじゃ) 野邊野神社(のべのじんじゃ) is a well known place listed as Church/religious Organization in Tsu-shi , Religious Organization in Tsu-shi ,

Contact Details & Working Hours

Details

◆御祭神
主神 品陀和気命(ほんだわけのみこと)(第十五代・應神天皇)
相殿 迦具土命(かぐつちのみこと) 
   藤堂高通(とうどうたかみち)公(久居藩祖)
外十三座

◆御由緒 
久居は昔野邊野と呼ばれていて、寛文九年(一六六九)に藤堂高通公(津藩祖である藤堂高虎公の孫)が分封の命を受け、この地に城を築き、城下町を建設せられた。永久(◎)に鎮居(◎)するという願いを籠めて久居と名付け、久居藩が生まれた。領内の小戸木村(旧鹿嶋村)に鎮座されていた八幡宮(創祀年代不詳)が「大守の御氏神・久居中の守護神」として崇められ、寛文十年(一六七〇)十月二十日に小戸木村から御殿の鬼門(艮(うしとら))の方位に当たる現在の地へ遷され、久居八幡宮として鎮座した。古くは神輿の担ぎ手は小戸木の青年に限られていた時代もあり、小戸木村は末代まで古(もと)氏子と言われる。
同年には醍醐寺三寶院の御直末寺として真言宗久居山長開寺福寿院が開基され、修験道場で、藩主の元服式や厄除けの神事、領内の祈祷が行われた。当時は神仏混合であり、境内には八幡宮、宝殿、護摩堂があり、八幡宮の祭祀が別当により行われた。
爾来久居の総守護神・藩の祈願所として、代々藩主をはじめ領内住民の篤信を集め、祭礼等は藩を挙げて盛大に斎行された。芝居、狂言の他に奉納相撲などは江戸より力士を招き藩士や町人の力自慢も加わり、殊に賑やかに行われた。
明治維新の廃仏毀釈によって長開寺が廃寺となり、合祀は三重県では殊に著しく、県内の神社が七分の一以下になり、明治四十一年四月に、久居城の築城と同時に帰依によって火除のために勧請された万町鎮座の愛宕神社(迦具土命)、久居藩祖である藤堂高通公の高徳を追慕して建立された西鷹跡鎮座の久居神社、外二十一社が久居八幡宮に合祀された。また社名が土地の旧名に因み野邊野神社と改称された。
廃藩後も毎年一月一日に久居藤堂家、二日には津藤堂家より幣帛が奉られた。明治三十九年に神饌幣帛料供進社に指定され、社格として村社に列せられた。
大東亜戦争終戦とともに社格が廃止され、津空襲があったが、久居は戦災を免れた。但し、久居出身の戦没者を偲び、昭和四十一年四月に以前から境内にあった表忠碑の傍に久居英霊殿が造営された。神域での教育環境が幼児期に最良と考え、昭和四十四年に学校法人野辺野学園を設立、のべの幼稚園を開園し、翌年に九州・太宰府天満宮より御分霊を奉戴し、境内社として野邊野天満宮を鎮座。
平成二十四年十一月、本殿には県の銘木である尾鷲檜、幣殿は太平洋鉄木、土間拝殿にはバルセロナ産の石を用い、世界中から最良の材料を集めて建てられた神明造りの本殿と唐破風向拝寄せ棟造りの社殿が落成し、氏子崇敬者のご奉賛により野邊野神社の大神等の御神威が増された。久居はその名の通り気候温暖にして災害もなく、御神徳の賜と、永久鎮居を祈る氏子、全国の崇敬者の篤い信仰を集めている。