行山流舞川鹿子躍(ぎょうざんりゅうまいかわししおどり)[岩手県一関市] 2.94

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舞川
Ichinoseki-shi, Iwate 021-0221
Japan

About 行山流舞川鹿子躍(ぎょうざんりゅうまいかわししおどり)[岩手県一関市]

行山流舞川鹿子躍(ぎょうざんりゅうまいかわししおどり)[岩手県一関市] 行山流舞川鹿子躍(ぎょうざんりゅうまいかわししおどり)[岩手県一関市] is a well known place listed as Organization in Ichinoseki-shi ,

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岩手県の南端一関市の中心地から北東に眺める山並み、北上川と古都平泉に挟まれた舞川地区に伝わる太鼓踊系鹿踊(ししおどり)で「行山流(ぎょうざんりゅう)」の流派です。
腰に太鼓をさげ、頭に本物の鹿角を付けた太鼓踊系の鹿踊は宮城県北部から岩手県南部に広く伝わっており、自ら唄い、太鼓を打ち鳴らし、背負った「ササラ」を揺らしながら跳躍するのが特徴です。

舞川鹿子躍には、正保元年(1644)の『勘太郎之巻』、元禄13年(1700)の『行山鹿子躍之由来』及び寛政10年(1798)の『秘伝庭揃之式並荘厳歌』などの伝書が伝わっており、それによると本吉郡水戸邊(みとべ)村(現宮城県南三陸町)の行山流元祖伊藤伴内持遠の門人千葉平九郎より舞川(当時相川村)の吉田猪太郎が免許を受け、以来近隣市町村で隆盛を極め先の戦争で中断するまで42代の庭元(にわもと)制(鹿子躍に関する躍り手や伝書、装束など一切を司る)のもと伝えられてきた、行山流を代表する躍組の一つです。

戦争で一時中断した後、昭和30(1955)年に保存会を結成、昭和48年(1973)一関市無形民俗文化財第1号、平成9年(1997)岩手県無形民俗文化財指定の際に、正式名称を「舞川鹿子躍」に統一し現在に至っています。

躍りは中央にリーダー格の中立(なかだち)、角のない女鹿子(めじし)が後ろに従い、側鹿子(がわじし)6名の計8名で構成されています。
演目には「二人狂」「三人狂」「案山子躍(かかしおどり)」「女鹿子隠し」「墓躍」「土佐舞」「鹿島躍(かしまおどり)」「海の門中(となか)」などが伝えられています。


後継者育成のため、舞川小学校と舞川中学校において課外授業として鹿子躍の伝承を行っており、各種大会にも積極的に出演しています。
こうした活動は少しずつ実を結び、現在地元の若者たちも積極的に鹿子躍に参加するようになってきています。

平成5年(1993)には途絶えていた行山流の本家といわれる宮城県南三陸町の踊組・行山流水戸辺(みとべ)鹿子躍の復活に取り組み、舞川から泊りがけで師匠を派遣、躍りの里帰りを果たしました。したがって、水戸辺鹿子躍の演目や装束は舞川鹿子躍に準じていますが、この度の東日本大震災にて水戸辺鹿子躍も被災、水戸辺の弟子である佐沼鹿踊(宮城県登米市)や舞川から鹿子頭など装束や用具の支援を行い活動再開に至っています。

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