矢名薬師 東光寺 2.93

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南矢名366
Hadano-shi, Kanagawa 257-0003
Japan

About 矢名薬師 東光寺

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Details

【薬師堂】
東光寺縁起によれば、当寺の興りは天平17年(745年)僧行基が鎮守諏訪明神の神託によって刻んだ薬師如来像を安置した庵(薬師堂)と言われています。
治承3年(1179年)には、領主野田氏が堂塔寺院を二子台に造立しましたが、建保元年(1213年)に兵火により焼失、建保6年(1218年)に近縁の信者により同地に再建され、その霊験によって大いににぎわったと伝えられています。
その後も再三の戦乱による火災による焼失・再建・修復が繰り返され、現在の薬師堂は慶長8年(1603年)、徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開いた年に建立されました。

【薬師如来像】
相模地区21薬師の15番目、僧行基の作と伝えられる当寺の薬師如来像は、永禄年代(1558年~)に武田信玄の北条攻めに際して、戦火に晒されました。不幸にして薬師堂は焼失しましたが、薬師如来像は焼け残り、その加護を信じた武田信玄により甲斐に持ち帰られ、伽藍に安置されました。
ところが、甲斐が大飢饉と疫病に見舞われたため、信玄は薬師如来を当地に戻し、永禄7年(1564年)には本堂、堂塔を建立し入仏開眼供養を行いました。
この薬師如来には片手が無いことから「片手薬師」「浮手の薬師」と呼ばれ、これには二つの謂れがあります。
一つは武田信玄が当地に薬師如来を戻す道すがら右手が落ちた。もう一つは武田信玄が没した時に右手が落ちた。というもので、いずれも武田信玄にまつわるものです。
薬師如来は寅年12年ごとに御開帳されます。直近では平成22年4月に開催され祈願法要が行われました。次回は平成34年4月に開帳されます。

【仁王門】
当寺の仁王門は安永3年(1774年)に建立されました。格式が高く、県下でも数少ない二層式の仁王門です。
軒には北白川親王の書による「感應道交」「感應同鏡」の額が掲げられ、左右には伽藍を守護する阿吽二体の仁王尊が安置されています。
秦野市内で仁王尊が安置されているのは矢名薬師堂と大日堂だけです。