岩津天満宮 4.43

岩津町字東山53
Okazaki-shi, Aichi 444-2144
Japan

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「岩津天満宮」は信光明寺第22世一誉上人が病気平癒の霊験に感激して、江戸時代中期に鎌倉・荏柄天神社の御分霊を勧請し、ご祭神の霊夢によって東山の現在地に「天満宮」として祀られました。時に宝暦9年、西暦1759年の事であります。
創祀当時の上人の岩津天神信仰は洵に篤く、病気平癒の神としての信仰を歴代上人に引き継がれ、尾張や三河を中心に広く布教して来られました。
岩津天満宮は江戸時代までは信光明寺の所管でありましたが、明治の神仏分離令によって、神社として地元岩津の村が管理することになりました。
明治12年、不慮の火災で堂宇は悉く灰燼に帰し、岩津天満宮は苦難の時期にさしかかります。この頃、越中立山の芦峅寺(あしくらじ)、大阿闍梨鑁禪(ばんぜん)(佐伯鑁禪)師は立山信仰の三河地方布教の折に、碧南新川の人造石発明者服部長七の屋敷を常宿にしておりました。加賀の前田候の影響下であった立山地方で篤い天神信仰を持つ大阿闍梨は岩津天神の窮状を憂い、大起業家の長七翁に援助を依頼しました。
岩津天満宮を信仰する翁はこれを快諾、万般を引き受けて師と共に社殿再建の為に奔走する事になったのです。 そして明治33年に長七翁は崇敬者総代に就任し大阿闍梨鑁禪尊師と共に臨時大祭を斎行、明治44年に御本殿を立派に造営、再興いたしました。前後して社務所・直会殿を建立し、大正8年には現在の拝殿を建立、長七翁はそれを見届けるかのように同年7月18日境内の一隅で帰幽いたしました。 平成23年はこの御本殿が再建されてより百年の節目の年です。
本殿再興百年を記念して、本殿・拝殿の耐震工事、お屋根の葺き替え等の修造工事を平成23年秋に無事終え、見事に甦りを果たしました。平成23年12月3日(土)に本殿遷座祭を滞りなく終え、翌4日(日)に本殿遷座奉祝祭を斎行し、多くのご崇敬皆さまの御参拝を頂いております。

明治の初年にはトヨタグループの創業者、豊田自動織機を興した豊田佐吉翁が、子供の頃母親の勧めで健康祈願に湖西から当社まで歩いてお参りに来ています。
また、人造石発明者の服部長七翁も岩津天満宮を崇敬し、頻繁に参詣に来山し、ついには崇敬者総代に就任までに成りました。