内の倉ダム 2.23

小戸3155
Shibata-shi, Niigata 957-0345
Japan

About 内の倉ダム

内の倉ダム 内の倉ダム is a well known place listed as Home Improvement in Shibata-shi , Landmark in Shibata-shi ,

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Details

内の倉ダム(うちのくらダム)は新潟県新発田市、二級河川・加治川水系内の倉川に建設されたダムである。農林省(現在の農林水産省)北陸農政局が国営加治川農業水利事業の一環として建設したダムで、現在は新潟県新発田地域整備部が管理を行う都道府県営ダムである。高さ82.5メートルの中空重力式コンクリートダムで、現時点において日本で最後に建設された中空重力式コンクリートダムとなっている。加治川の治水と新発田市の農地かんがい及び上水道供給と水力発電を目的にして、国庫の補助を受けて建設された補助多目的ダムである。ダムによって形成された人造湖は内の倉湖(うちのくらこ)と命名された。地理内の倉川は水源を飯豊山系の一つ・赤津山に発し、大小の沢を合わせて概ね西に流れてダム地点を通過し、向きを北西に変えて加治川に合流、日本海に注ぐ二級河川である。流路延長は約13.3キロメートル、流域面積は約48.9平方キロメートルの小河川で、ダム地点までは山地を流れる渓谷を形成し、ダム地点を通過すると蒲原平野に出る。ダムは内の倉川が平地に出る直前の渓谷、要害山の麓に建設された。沿革加治川は新発田藩主・溝口氏の手によって改修が開始された。当時の加治川は下流部で乱流を繰り返して方々に潟を形成、阿賀野川に合流していたが新田開発を目的に内水排除を行い、次第に農地が開けてきた。明治時代に入ると阿賀野川からの分離工事が行われ、1907年(明治40年)から1914年(大正3年)まで7年間を掛けて日本海へ直接河水を流すことによって独立した水系となった。1952年(昭和27年)からは新潟県が主体となって中小河川改修事業である加治川改良工事全体計画を行い、堤防建設を主体として計画高水流量(予測される最大の洪水流量)を毎秒2,000トンに抑制する方針を採った。