1954年、祖父 瀬尾清一は、兵庫県西宮市に理容室をオープンしました。
そして、1959年にはかつらを自分自身で使い、お客様への販売をスタートしました。
そのあとを継いだ父 瀬尾寛司は、『カツラ価格破壊』に挑戦することを自らの使命に、1995年単身中国に渡り、かつら工場を訪ね歩きました。
しかし、突然日本からやってきた一人の理容師を、相手にしてくれる工場はなかなか見つかりませんでした。それでもあきらめず訪ね歩くうちに、ようやく2社が取引に応じてくれました。こうして、大手かつらメーカーに品質面で劣らないかつらを、およそ4分の1の価格で提供することが可能になりました。
その父も2004年6月、『廉価のかつらを提供したい』という志半ばで癌の病に倒れ、享年55歳という若さでこの世を去りました。
祖父の時代から半世紀が過ぎた今、私 瀬尾秀夫が「父の遺志」を受け継ぎ、もっと手軽にまるで帽子をかぶるように、かつらをつけられる世の中にするため、一生かけてかつらの普及に取り組んでまいります。