一番町 (仙台市) 2.4

About 一番町 (仙台市)

一番町 (仙台市) 一番町 (仙台市) is a well known place listed as Region in -NA- ,

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一番町(いちばんちょう)は、仙台市青葉区の東一番丁通り()沿いにある町名、またはそこに存在する商店街のことである。仙台市都心部に位置し、同市を代表する商業地のひとつとなっている。南から北へ一番町一丁目から四丁目と並んでおり、二丁目から四丁目にはアーケードがある。一丁目は東北大学の片平キャンパスに隣接し、かつては学生街ともなっていた。一丁目から四丁目までの総面積は0.45km2であり、2017年4月現在の住民基本台帳人口は3,369人である。歴史現在の一番町は、かつての東一番丁を起源としている。区域内を南北に走る一番町通りが、かつての東一番丁である。江戸期東一番丁は江戸時代には中級以下の家臣が住む侍町であった。武士は商業に携わることが禁じられていたから、当時の東一番丁に商店がおかれることはありえなかった。寛文年間頃(17世紀中頃)、東一番丁と玉沢横丁(現広瀬通)との北西角に糠藁の倉があったため、現在の一番町四丁目商店街の辺りは糠倉丁とも呼ばれた。明治維新以降1869年1月19日(明治元年12月7日)、戊辰戦争に敗けた奥羽越列藩同盟諸藩に対する処分が行われると、仙台藩も石高を大幅に減らされ、大量の没落士族を生んだ。そのため、仙台藩の下級藩士たちは、在地で帰農したり、北海道に移住したりした。さらに、1871年(明治4年)に廃藩置県、1873年(明治6年)に徴兵制、1876年(明治9年)に廃刀令および秩禄処分と、藩士を支える組織・特権・経済基盤が次々と剥奪された。こうした世情にあって、仙台藩の家臣だった山家(やんべ)豊三郎(とよさぶろう)は、玉沢横丁・東一番丁(現・広瀬通一番町)辺りにあった自邸内に数十戸を建てて「山家横丁」と称し、藩士たちに商売をさせた(士族の商売)。以後、東一番丁沿いには、芝居小屋、映画館、寄席、喫茶店、芸妓置屋、露店などが立ち並ぶようになり、藩政時代以来の商業中心地だった国分町の裏町、新興の商店街として賑わうようになった。東一番丁は商業分野における士族授産の場でもあった。