ブキティンギ 1.39

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ブキティンギ ブキティンギ is a well known place listed as City in -NA- , State in -NA- ,

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ブキティンギ ()は、インドネシアの西スマトラ州にある町で、同州アガム県の県庁所在地である。その地名は現地語で「高い丘」を意味する。植民地時代の公称は「デ・コック砦(Fort de Kock)」。地理スマトラ島中部の西岸部分を占める西スマトラ州(日本との時差は約2時間)の州都パダンから北へ約90kmの場所、アガム高原の中央部に位置する。町の規模は小さい。標高約900mにあるため、年間を通して日中の気温は約20℃と安定していて、夜はやや冷え込むが、比較的すごしやすい土地である。周囲をムラピ山、シンガラン山、サゴ山、パサマン山などの山々に囲まれ、西スマトラでも随一と言われる美しい景観をもっているため、植民地時代から多くの観光客が訪れていた。現在でも、世界最大の母系社会として知られるミナンカバウ族の伝統的な文化に触れることができるため、外国人観光客が多く訪れている。歴史「商才に長ける」と評されるミナンカバウ族が居住する村として古くから存続していたが、19世紀前半、現地のイスラーム慣習派と、メッカ帰りのパドゥリ派(現地の闘鶏や葉巻喫煙などの慣習を排斥しようとした)との内紛にオランダが介入し、パドゥリ派を制圧するために、1825年、ブキティンギに星型の砦を建設した(パドゥリ戦争)。そのときのオランダ軍の将軍の名前から、砦は「デ・コック砦(Fort de Kock)」と称され、以後、ブキティンギの町もそのように称されることになった。1942年、オランダ領東インドへの日本軍の侵攻後、今日のインドネシア全域で日本軍政が開始されると、ブキティンギには陸軍第25軍の参謀本部が置かれ、スマトラ島全域を統括することになった(日本軍政期については下記の「最近の日本との関係」も参照)。オランダとの独立戦争では、1948年12月13日、オランダの総攻撃によってインドネシア共和国首都(当時)のジョグジャカルタが陥落し、スカルノやハッタら共和国首脳がオランダ軍に拘束されると、共和国の臨時政府がこのブキティンギに樹立され(臨時首相はシャフルディン・プラウィラネガラ)、共和国の命脈を保つことになった。