プラタイアの戦い 1.48

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プラタイアの戦い プラタイアの戦い is a well known place listed as Landmark & Historical Place in -NA- ,

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プラタイアの戦い(プラタイアのたたかい、プラタイアイの戦いとも、英:Battle of Plataea)は、クセルクセス1世の遠征後の紀元前479年8月、ペルシア残存勢力とペルシア側についたギリシアの諸ポリスに対して、スパルタ、コリントス、アテナイなどのギリシア連合軍が出撃し、これを撃退した戦いである。右翼についたスパルタ軍だけで大半のペルシア兵を討ち取り、それが直接的な勝因に繋がった。背景サラミスの海戦によってペルシア軍は大損害を被ったが、まだ戦争を続行できるだけの戦力はあった。しかし、サラミスでの大敗に失望したクセルクセス1世は、将軍マルドニオス(Mardonios、ダレイオス1世の娘婿)に30万のペルシア陸軍の全指揮権を委ねて帰国してしまった。マルドニオスはその年は一旦テッサリア地方へと後退し、兵糧の収穫を終えると、翌年の紀元前479年に再びギリシア征服を開始した。アテナイは再びサラミスに疎開し、ペルシア軍はアッティカに進軍してこの地を征服した。アテナイはギリシア各地に救援を要請し、ペルシアとの陸上決戦を呼び掛けた。無論、スパルタもアテナイからの救援要請を受けていたが、当時スパルタの指揮権を握っていた王族パウサニアスはアテナイに向けて援軍を送るか迷っていた。スパルタ国内の膨大な奴隷たちがペルシア戦争に乗じて不穏な気配を漂わせていたため、遠征中の奴隷反乱を恐れたのである。パウサニアスは神託を伺い、神々にその決定を委ねることにした。その時の神託は「レオニダスの仇を討て」というものであった。これを聞いたパウサニアスは援軍を送ることを決意し、指揮下のスパルタ軍と共にアテナイの援護へと向かった。ペルシア将軍マルドニオスは、マケドニアのアレクサンドロス1世を通じて、避難しているアテナイ人に対して和平交渉を申し入れたが、拒否された。ギリシア連合軍は当初アッティカ地方のトリヤ平原で決戦を行う予定だったが、ペルシア軍はアテナイを破壊するとテーバイのあるボイオティア地方に後退したため、ギリシア連合軍はこれを追う形となった。パウサニアス指揮下のスパルタ軍はコリントス付近でペロポネソス半島の諸ポリスの軍を待ち、次いでエレウシスでアテナイ軍と合流した。ギリシア連合軍はここから北上し、ペルシア軍の騎兵を警戒してキタイロン山麓に布陣し、ペルシア軍に対峙した。